人として生きる

私たちは長いあいだ、 「問いを立て、悩み、考え続けることが人間らしさだ」 と信じてきた。

自分とは何か。 なぜ生きるのか。 どう生きるべきか。

そうした問いを持ち、答えを探し続けることこそが、人間の証だと思ってきた。 けれどそれは、誤解なのかもしれない。

問いは自然に生まれるものではない。 多くの場合、問いは不安から生まれる。 自分の立ち位置がわからず、生きる理由を見失ったとき、 私たちは問いを立て、それに答えを与えることで自分を安定させようとする。

つまり、 「生きる理由を持たなければならない」 という前提そのものが、すでに不安の表れだった。 問いという柱に寄り掛からなければ、一人で立てないだけだった。

本当の人間らしさは、 考え続けることではなく、感じることにある。

目の前の光、音、温度。 人の声や表情。 喜びや悲しみ、不安や安らぎ。

それらを理由や意味に変換せず、 ただそのまま受け取ること。

「これは何を意味するのか」 「自分はどうあるべきか」 と問いを重ねる前に、 目の前を純粋に見つめること。

そこには、生きる理由も、結論もいらない。

生きていくということは、 目的なく淡々と世界を観測し、 感じ、反応し、行為するということだ。

それは無思考でも無感覚でもない。 むしろ、余計な解釈が剥がれたぶん、 世界はより鮮明に立ち現れる。

生きる理由を探すことをやめたとき、 人は初めて、 理由なしに生きているという事実に気づく。

それこそが、 人間らしく生きる、ということなのだと思う。

© 2026 Takeshi Hashimoto