それを持つ人 ― 人間であることの内的様式と外的様式
これまで出会ってきた人間を分析し、彼らに対する自らの感情を整理した結果、一つの結論に行き着いた。 俺にとって特別で、人生を通して付き合い続けたいと思う人間には、例外なく「あるもの」が備わっていた。 それは、「自己の内部に存在する評価軸」だ。
経験上、多くの人間はその評価軸を外部に置いている。他者の反応、社会的地位、同調と協調。それらが評価の基準であり、行動原理もまた外部環境によって規定される。 俺は彼らをどうしても好きになれない。なぜなら「持たない人」は、その欠落を満たすものを世界に求め続けているに過ぎないからだ。 その状態で生まれる他者との関係性は、対象からの「回収」の連続であり、意思決定は常に「与えられた正しさ」へと収束していく。
対して「持つ人」は、評価軸が自己の内部で完結している。 自己は完全に独立しており、彼らは世界を「関係性の網」ではなく、一つの「プラットフォーム」として認識している。 俺は彼らが大好きだ。彼らの軸が俺の軸と干渉し合う体験には、得も言われぬ快感がある。彼らとの関係性は、欠落の補填ではなく、互いの「余剰分の供給」として構築されるからだ。 そこでの意思決定は表現と探究の方向へと発散し、彼らは孤独を恐れない。
「持つ人」への理解を深めるために、あえて「持たない人」の見分け方を具体的に記しておこう。 これは能力や立場では判断できない。かつての自分は、知能が高く、自己表現を職業にする者であれば例外なくこれを持っていると誤認していた。 しかし、根本に存在するのはそこに至る「動機」であり、結果からは何も判別できない。 彼らが「持たない人」であることは、世界から何かを回収し、自己を安定させようとするその振る舞いによって露呈する。
彼らは他者との関係性に自己の充足を求める。感情の共有、承認、あるいは共感を切実に必要とする。 一度築いた関係性を言葉で定義し、固定しようとするのも彼らの特徴だ。「友達」や「恋人」というラベルを盾に、回収的な関係性を正当化する。 沈黙や孤独を恐れ、常に他者との接続を更新し続けなければ彼らは保たない。 ゆえに関係性が一度途切れると、回収作業は自然消滅し、彼らの中にその関係性は残らない。ただ、次の回収先を探しに行くだけだ。
評価軸を外部に依存している以上、行動原理もまた外部に縛られる。 世界が多数決的にそれを「正解」とするなら、彼らは迷わずそれを選ぶ。 そこに意志ある決断は存在せず、全ては妥協的な結論として収束していく。動機は常に未来の結果に接続されており、自分だけが保持する固定された価値観がない。 彼らは社会的摩擦を極限まで避け、相談や同調を巧みに利用する。成功と失敗は結果によってのみ定義され、その過程への興味は驚くほど薄い。
「持たない人」は、同様の性質を持つ者同士で関わるべきだ。 その欠落が満たされることは永遠にないのだから、他者や世界とうまく接続し、その場限りの安定を得られればそれでいい。 一方で「持つ人」は、彼らと深く関わるべきではない。 世界と独立した関係を築きたいのであれば、相手に「回収」されることを許してはならない。 浅い付き合いであれば、持つ人の「余剰分」を与えるだけで完結する。しかし、ひとたび依存関係に陥れば、持つ人側の独立性は損なわれてしまう。
「持つ人」同士の関係性は、独立した自己を共有空間に置くことで成立する。 他者はあくまで世界の一部であり、自分はその観測者に過ぎない。 それでもなお、お互いに特別であり続けることは可能であり、その人が存在する世界を何よりも愛することができるのだ。
なぜこれほどまでに明らかな差が存在するのか。確かな答えはまだないが、一つの仮説がある。 幼少期に与えられた「無条件の愛」の有無だ。 生まれたばかりの子供は、本来評価軸を内部に持っているはずだ。 それがどこかのタイミングで失われるか、外部の評価軸に圧倒されてしまう。 なぜ外部の軸が内部を侵食しうるのか。それは、与えられた愛が「条件付き」だったからではないか。 条件を満たすことでしか自己を愛せないモデルが形成されると、愛は外部から獲得すべきものとなる。 一方、無条件の愛を享受した者は、外部の評価軸を必要としない。自己の存在そのものが価値を持つからだ。
この自己愛の有無が、関係性や意思決定の質を定義する。 自分を無条件で愛せる主体は、他者への依存を必要とせず、動機は常に自己の内部から湧出する。 人生の最初の10年ほどでそれは決定づけられ、よほどのことがない限り、後天的に覆ることはない。
もっとも、「持たない人」の存在が人間社会を成立させているという側面も無視できない。 依存的な関係性は他者との接続を強め、合意的な意思決定は社会の安定に寄与するからだ。 彼らが多数派であることは社会構造として合理的であり、少数であるからこそ「持つ人」は価値を持つ。
「持たない人」は空白に苦しみ、「持つ人」は孤独に苦しむ。 「持たない人」が真に怯えているのは、他者との接続が途絶えた瞬間に露呈する、自己の空虚感そのものである。 一方で「持つ人」は、どれほど深く他者を愛そうとも、個としての独立性がゆえに決して相手と溶け合うことができないという、絶対的隔絶に身悶えする。 自己の内部の密度に悩むのか、世界との接続性に悩むのか。 我々は決して理解し合えない。しかし、その両者がバランスよく偏在しているからこそ、この世界は成立している。