合理性と倫理観のバランス
人生が一本につながった夜の話
最近、ずっと苦しかった。 冬だからメンタルが落ちる時期なのかな、とも思うし、ちょうどファイナルの時期でもある。今日も1つテストがあって、明後日と、そのまた明後日にもう1つずつテストがある。こんな時期に、正直こんなことを考えたくはなかった。
それでも、ここしばらく、自分の悩みや問いについて頭をひたすら回し続けていた。 その中で、「自分は何に悩んでいるのか」「何に対してモヤモヤしているのか」がかなりはっきりしてきて、それに対する自分なりの答えも見えた気がする。
それは、自分の人生全体を語るうえで、かなりしっくりくる「核」みたいな答えだった。 だから一度ここで整理しておきたいと思った。UBCを卒業するタイミングで、きちんと文章としてまとめたいとも思っている。その下書きみたいな位置づけの記録でもある。
最近の悩み:人との「退屈さ」と、自分の倫理観
ここ最近の悩みは、ざっくり言うと二つある。実際にはかなり繋がっている。
一つ目は、新しく出会った人たちとの関係だ。 UBCの日本人コミュニティの中で、それまでほとんど知らなかった人たちと会う機会が増えた。何度か会ううちに、彼らのことをいろいろ知っていったし、会えてよかったと思う時間もあった。楽しい時間も、ちゃんとあった。
だけど、時間が経つにつれて、彼らと一緒にいる時間が退屈に感じられるようになってきた。 彼らが目指しているものや考えていることが、自分のものとあまりにも違いすぎて、「退屈だな」「人間ってなんでこんなにつまらなくなれるんだろう」と感じてしまう瞬間が増えていった。
自分としては、正直もうそこまで時間を一緒に過ごしたいとは思えなくなっている。 でも彼らの側からは自分のことを好いてくれていて、誘ってくれる。それはありがたいことだと頭では分かっているけれど、内心では「今はファイナル期間だし、Laplaceも進めなきゃいけないのに、この時間はもったいないな」と感じている自分もいる。
それだけならまだいい。 問題は、自分のポリシーとの衝突だ。自分は「どんな人に対してもできるだけ丁寧に接したい」「人を大切にしたい」と思っているし、その感覚は本物だと思う。彼らのことも、人として嫌いではない。むしろ「人としては好き」と言っていい。
ただ、自分が本当に達成したい目標や、本当に大切にしたい人たちを優先しようとすると、彼らとの時間はどこかで「切らなければいけない」とも思う。 「いい人でいたい自分」と、「自分の人生に対して合理的でいたい自分」の間で引き裂かれている感じがある。
Laplace のチームについても同じような構図がある。 周りの動きは遅く、クオリティも低い。そう感じる一方で、自分と深いレベルで理解しあえるような人も、ごく少数だが確かに存在する。自分としては、そういう人たちと一緒に働きたい。そうじゃない人とは、あまり一緒にやりたくない。
でも、もうチームに入ってもらっている人に向かって、「やっぱりお前はいらないわ」とはなかなか言えない。言いたくもない。 けれど感情的には、「この人はもう必要ない」と感じてしまう自分もいる。
ここに、自分の中の「合理性」と「倫理観」がぶつかり合っている。 これが最近の悩みのコアだった。
退屈な人たちと、「光を追う」人たち
もう一つの悩みは、「退屈だ」と感じる人たちは、なぜそう見えるのか、ということだ。
自分が「退屈だ」と感じる人たちには、共通点があるように思えた。 彼らは何かが欠けていて、その欠けたものを埋めるために「承認欲求」「地位」「見栄」みたいなものを追いかけている。それを見ていると、自分はどうしてもつまらないと感じてしまう。
その一方で、彼らの「追いかけているものがある」という状態が、どこか羨ましくも見えた。 自分には「プロセスに目を輝かせろ」という価値観がある。何かを追いかけているとき、心が動いているとき、自分は生きていると実感できる。もしその「心」がなくなってしまったら、自分には何も残らないと思っている。
自分の「追いかけているもの」は、内側に一つだけはっきりとある。 それは自分では美しいものだと思っている。ただ、周りの人たちは、自分の外側に光を置いて、それを追いかけているように見える。盲目的ではあるけれど、その人たちの外側には、少なくとも「消えないように見える光」がある。それは、それでいいな、とも思った。
自分のこの「内なる光」がもし消えてしまったらどうしよう。 それがもう一つの深い不安だった。
まとめると、最近の大きな悩みは二つだった。
- 人に対する合理性と倫理観をどう両立させるか
- 自分の「追いかける光=心の熱」が消えてしまわないか
人と会うほど孤独になる感覚
ここで一度、昔のことを振り返った。
自分は、人と会えば会うほど孤独を感じる。 なぜなら、「本当の意味で理解し合える人」がこの世界にはとても少ないのだと、会うたびに感じてしまうからだ。
この感覚は、コロナ前後やカナダに来る前に強くあった。 その頃も、「ああ、またあの感じが戻ってきたな」と今になって分かるようになった。
振り返ってみて、「なぜカナダに来ることにしたのか」「カナダに来る前の人生で何を感じていたのか」が、ようやく言語化できた。 ここからは、自分の人生のコアをつくった経験を整理していく。
幼少期:年上と遊ぶ楽しさと、同級生の退屈さ
幼少期の自分は、兄の友達や、兄とは関係ない年上の子たちと遊ぶことが多かった。 その体験が、今の自分をかなり形作っていると思う。
年上と遊ぶ時間は、とにかく楽しかった。 運動神経も良いし、話している内容も少し難しい。その中で、自分はそれに追いつこうとする「弟ポジション」がデフォルトの感覚だった。
一方で、学校に行って同級生と関わると、ひたすら退屈だった。 それは勉強やスポーツの能力に限らず、日々の会話、将来の夢、ちょっとした話題に至るまで、全般的に「つまらない」と感じていた。もちろん、くだらない話でふざけたり、ギャグで盛り上がったりする時間は楽しかった。でも、そうじゃない時間――真面目な話や将来の話――はとにかく退屈だった。
この感覚は、子どもの頃からずっと続いていて、今感じている「退屈さ」と地続きだと思う。
野球だけは退屈じゃなかった
そんな中で、唯一心から楽しいと感じていたのが野球だった。 水泳も楽しかったけれど、人生を形作ったと言い切れるのは野球だと思う。
なぜ野球が楽しかったのか。 それは「対人コミュニケーション」そのものが主役ではなく、「野球」というスポーツや「大会」というイベントにみんなで向き合っていたからだ。自分は「人と合わせる」のではなく、「自分と野球」という関係でいられた。
そこには二つの軸があった。
- 自分がうまくなること(修行僧的・仙人的な価値観)
- チームとして勝つこと(チームプレイ)
自分は同級生に合わせる必要がなかった。 難しいスポーツに挑戦し、上達を追いかけることは、退屈しない唯一の時間だった。
中学・高校でも同じで、「強いところに勝とう」「全国制覇しよう」「甲子園へ行こう」と言い続けていた。難しい何かを追いかけている時間が、唯一楽しい時間だったからだ。
勉強も得意だったし、学校の中では常に上位にいたと思う。 それでも勉強は退屈だった。もし中学・高校の時点で東大進学を本気で目指していたなら、楽しめたかもしれない。でも実際には、同級生との会話も含めて、「基本退屈」という感覚が消えなかった。
その退屈さを埋めてくれていたのが、野球だった。
中学・高校のマネジメント経験:人と向き合う難しさ
中学・高校では、自分はキャプテンや副キャプテンを務める立場になった。 そこで初めて、「人をマネジメントする」という難しさに正面から向き合うことになった。
仲間とは対等な関係でありながら、自分は一歩前に立ち、チームをどう動かすかを考えなければならない。そのときに感じた自分の未熟さや無力感は、とても大きかった。当時は辛かったし、「これは無理だ」と思う部分もあった。
ただ、今振り返ると、あれはあれで「難しいことに挑戦していた時間」だったとも思う。 勝つ・上手くなるといった分かりやすい目標だけでなく、「人とどう向き合うか」という別種の難しさに出会えた時間だった。
もしあの経験がなかったら、野球という「対象」だけに向き合って、人間という「他者」に真正面から向き合うことはなかったかもしれない。 そういう意味で、あのマネジメント経験は、自分を成長させてくれた時間だった。
コロナと「一人でいる豊かさ」
高校3年のタイミングでコロナが来た。 強制的に一人になる時間が生まれ、自分の時間の使い方やエネルギーの配分を、すべて自分で決めなければならない状況になった。
多くの人が「人生の空白期間」「大事なイベントが奪われた」と感じていたあの時期に、自分はむしろ豊かさと幸せを感じていた。 人生で初めて、「一人でいること」が許された時間だったからだ。
一人になって、自分がしたことは勉強だった。 英語の勉強、野球の勉強、野球の練習。1日24時間を自由に使っていいと言われ、自分のペースで、好きな方向に時間を流せるあの感覚は、とても豊かだった。
学校の勉強は遅くて退屈で、周りとの会話も「つまらない」と感じることが多かった。 でも一人でいるとき、自分は退屈ではなかった。全部自分のペースで、自分の好きなものに向き合えた。
コロナがなければ、自分はずっと「周りに人がいる世界」で、退屈を我慢しながら生きていったかもしれない。 一人で黙々と英語を勉強したり、プログラミングをしたり、ボクシングをしたり、あの「自由さ」のある時間は、本当に幸福だった。
ときどき人と会うと、時間の進み方が遅く感じたり、やっていることが退屈に思えたりして、そのギャップに耐えられなくなってきた。 その頃、親にも何度も「周りが面白くない」「一人でいた方がいい」と話していた。
今感じている「周りがつまらない、けれど人を嫌いになりたくはない」という感覚は、この頃すでに始まっていたものだったと思う。 その苦しさの延長線上に、「カナダに行く」という選択肢が見えてきたのだと思う。
カナダに向かった原動力:孤独と希望
これをあえて悪い言葉で言うなら、自分を動かしたのは「孤独感」だった。
カナダに出るまで、自分と同じ価値観や考え方を持った人には、ほとんど出会えなかったと感じている。 理解されない寂しさ、共鳴できない孤独感。それが、自分をカナダへ向かわせた。
インターネットを通して、自分と似たようなことを考えている面白い人たちが、この世界のどこかにはいるのだと知った。 一方で、法政大学で数ヶ月過ごして、「少なくともここにはあまりいないな」とも感じた(いたとしても、簡単には出会えなかっただろう)。
最初は「頭の良い場所」、たとえば東大のような場所にそういう人がいるのではないか、と考えたりもした。 「ここは頭が良くない人が多いから面白くないんだ」と感じていた部分もある。
ただ、最終的に自分が選んだのは、「海外の大学で学ぶ」ことだった。 その背景には、スポーツと世界との接続がある。
野球というスポーツに向き合い、その技術を磨き、勝利を目指す。その「難しいことに挑む」感覚が面白い。 自分の将来を考えたとき、「登る山が大きいほど楽しい」と思った。そのスケールが、自然と「世界」に向いた。
ちょうどその頃、東京オリンピックがあり、大谷翔平がホームランを量産してMVPをとったシーズンでもあった。 自分も野球をやってきた人間として、彼らの姿を見ながら、「世界で戦う」というイメージがよりリアルになっていった。
プロ野球選手になるという夢を諦めた後、自分には何を追いかければいいか分からなくなっていた。 そんな中で、「世界で何かに挑戦する」「面白い人たちと出会う」という二つの軸が、自分をカナダの大学へ向かわせた。
「UBCで、面白い人に会いたい」 これが、自分がカナダに来た理由だと、今になってはっきり言語化できる。
実際、Langaraを卒業したときの記事にも、自分は「UBCでは面白い人に会いたいです」と書いていた。 当時の自分は、自分が何を求めているのかをきちんと理解していたわけではなかったけれど、その言葉には本音が滲んでいたのだと思う。
UBCに入ってから:期待と落差、そしてオキさんと Matchya
UBCに入って、最初に思ったのは、「面白い人いないな」ということだった。 今から思えば、その時点ではまだたくさんの人に会えていなかっただけだとわかる。実際、UBCの中にも面白い人はいる。ただし、その割合はやはり少ない。
入学して最初の2ヶ月ほど、自分はいろんなイベントやクラブに顔を出した。 けれど、そういう場にいる人たちは、多くが「ワイワイ楽しもうぜ」というノリで、日本の普通の大学生とあまり変わらないように見えた。そこに、自分が求めている「面白さ」はほとんどなかった。
その一方で、前から知っていたオキさんの存在が、徐々に自分の中で特別になっていった。 「結局一番面白いのはオキさんだな」と思うようになり、一緒に会社をやることになった。それが、Matchya という会社だ。
UBCに来た目的は「面白い人に会うこと」だったが、その目的はUBCの中ではなく、UBCの外側で叶えられた形になった。
Matchya:プロダクトの楽しさと、「自分じゃなくてもいいのでは」という感覚
Matchya を通して、自分は初めて「事業」をそれなりにちゃんとやった。 雇用まではしていなかったし、いわゆる「急成長スタートアップ」というほどでもなかったが、プロダクトを作り、それを売ってみる一連の流れや、スタートアップ的な常識・思考法はこの経験でかなりインストールされた。
自分が世界で戦うイメージとしては、「起業家」と「研究者」という二つの軸があった。 Matchya は、そのうちの「起業家」という方向性を試した時間だった。
当時やっていた「AIインタビュアー/AI面接」のアイデアは、今振り返っても悪くなかったと思う。 むしろ今のタイミングであれば、かなり流行った可能性があるとさえ思う。 実際、技術的にも先行していたし、当時は同じことをやっている会社はほとんどなかった。人間のコードそのものではなく、「言語情報」や「映像情報」から候補者を評価するという発想も、早かった。
ただ、1〜2年先を見据えると、「同じことをやる人は絶対に出てくる」とも感じていた。 キャッチアップしてくる競合も現れるだろう。その意味で、当時の自分たちは、「今すぐスピードを上げて市場を取りにいくべきフェーズ」に入りかけていた。
そこからは、資金調達がほぼ必須になる。 その段階で投資家から求められるのは、「フルコミットしてほしい」という姿勢だ。
自分は学生で、オキさんはエンジニアとして働いていて、二人ともパートタイムでやっていた。 投資家目線からすれば、「そこを捨ててでもフルコミットするのか?」という問いになる。
選択肢は二つだった。
- 自分が大学を辞めてフルコミットする
- 事業をやめる、もしくは低速で続ける
自分は最終的に、事業をやめる決断をした。 その先のフェーズ――マーケティングに全振りして資金調達しながらスケールさせていく世界――が、自分の「ワクワク」をほとんど刺激しなかったからだ。 プロダクトを作るのは楽しい。でも「売るためのゲーム」を全力でやることには、そこまで心が動かなかった。
この一連の流れの中で、自分は「自分の存在意義」について考えるようになった。
「自分じゃなきゃいけない理由なんて、本当にあるのか?」
自分たちがやめても、そのサービスをやる人は他に現れる。 スティーブ・ジョブズが天才であることは否定しないが、彼がいなくてもiPhoneのような製品は、多少タイミングがズレても、別の誰かが生み出していた可能性は高いと思っている。
そう考えると、「一人の人間が社会に与えられるもの」とは何かが分からなくなってきた。 10年単位の違いはあるのかもしれないが、長期的に見ると、その差はそこまで大きくないのではないか、と。
その結論から、「俺じゃなくてもいい」「俺の人生に意味はないのではないか」という感覚が強くなった。 自分が何をしても、世界の変化そのものには本質的な意味がない。 そういう虚無感が、その頃から自分の中に根付いた。
生きる意味はない。でも「死を選ばない理由」はある
マッチャのあと、自分ははっきりと「生きる意味はない」と思うようになった。 今でも、その点についてはあまり変わっていない。
自分が生きている意味はない。 自分が何かを変えたとして、その「変わったこと自体」に大きな意味はない。 「世界を良くする」といった標語的な言葉も、その内側を掘っていくと、どこか空虚に感じられてしまう。
それでも、自分は「自分から死のうとは思わない」。 死んでも構わないと思っている一方で、積極的に死を選ぶほど不幸ではない。むしろ、かなり幸せな方だと思っている。
では、なぜ自分は死を選ばないのか。 その小さくて大きな差に、何か答えがある気がして、そこを考えた。
自分が出した答えは、とてもシンプルなものだった。
- ご飯が美味しい
- たくさん寝たとき、気持ちいい
- 誰かと会って、楽しい時間を過ごすことがある
そういった、「一瞬一瞬の気持ちよさ」があるから、自分は生き続けている。 自分が生きる意味はなくても、「死を選ばない理由」はここにある。
これをまとめると、自分は「心が動くから」生きているのだと思う。 感情が動くから。気持ちいい、と感じる瞬間があるから。
もっと綺麗な言葉にするなら、 自分は「心の熱」を追っているから、生き続けることができる。
- この人が好きだ
- この人と一緒にいる時間が楽しい
- この活動をしているときが、一番気持ちいい
そういう「心の熱」があるから、自分は死を選ばない。 それを分解すると、「愛」と「夢」の二つになる気がしている。 これが、自分が生きている理由だと、今は思っている。
再び現在の問いへ:合理性と倫理、心の熱の不安
ここまで振り返ると、自分の人生の二本柱が見えてくる。
- 「孤独感」から始まった、人との関係性
- 「心の熱」=愛と夢
最近の悩みは、この二つに改めて向き合うところから生まれている。
- 人を大切にすることと、合理的に生きることの両立をどう捉えるか
- 自分の「心の熱」が、いつか消えてしまうのではないかという不安
まず一つ目について。
愛とは何か:リソースを投下したいと思う気持ち
「愛って何だろう」と考えたとき、自分なりの定義はこうなった。
自分の時間やエネルギーといったリソースを、その人と一緒に過ごすために投下したいと思う気持ち
今の自分にとって、ケイスケはまさにそういう存在だ。 仲間として大好きだし、一緒にいて楽しいし、話している時間が好きだ。
他の友人たちのことも、好きではある。 ただ、ケイスケやオキさんに対する「リソースを投下したい度」と比べると、その強さにはグラデーションがある。
- この人には、このくらいの時間なら使いたい
- この人には、もっと使いたい
- この人には、そこまで使うべきではない
そういう濃淡がある、というだけだ。
一方で、自分のエネルギーは有限だという事実もある。 だからこそ、「誰にどれだけ配分するか」を自分で決めることが必要になる。
それは、「人を大切にしない」ということではない。 むしろ、自分が本当に大切にしたい人に対して、きちんとリソースを注げるようにするために、境界線を引く行為だ。
自分のリソースを、本来そこまで大切にしたいわけではない相手に使いすぎるのは、 本当に大切にしたい人たちに対して非倫理的だと、自分は思う。
だからこそ、自分の中での結論はこうだ。
- 人を大切にすることと、合理的でいることは矛盾しない
- 自分のリソース配分を意識的に決めることが、むしろ倫理的ですらある
Laplace のチーム運営における「切る」と「責任」
この考え方は、Laplaceのチームにもそのまま当てはまる。
- 「この人とは一緒にやりたい」と思える A プレイヤー
- 「この人とは、正直そこまで一緒にやりたいと思えない」人
この差は、ビジネス的な意味だけでなく、「愛のグラデーション」にも近い感覚だ。
自分は、「大切にすべき人を大切にする」ために、そうではない人をある程度「切る」必要があると思っている。 ただし、「切る」と言っても、ただ冷たく突き放すという意味ではない。
自分がチームに迎え入れた人に対しては、責任がある。 たとえ最終的にはチームから離れてもらう結論を選ぶとしても、それまでのプロセスで、その人が「自分を大切にしてくれる環境」へ移れるように配慮することは、自分の責任だと思っている。
- 最終的に離れてもらう結論は揺らさない
- ただし、その過程ではできる限りの敬意とサポートを払う
そうすれば、自分は自分の倫理観の中で納得できる。 大切なものを守るために、捨てるべきものを捨てる。それはある意味で「諦め」でもあるが、必要な諦めだと感じている。
「心の熱」は消えるのか:宇宙に詳しくなりたいという欲望
二つ目の問い、「心の熱がなくなったらどうするか」について。
最近、自分は気づいた。 自分は「新しいことを考えること」「知らないことを知ること」が、ものすごく好きだということに。
自分が「頭のいい人」をどう定義するかと言えば、「宇宙(世界)に対して詳しい人」だ。 自分もそうなりたいと思っているし、それを目指している時間が楽しい。
誰かの話を聞き、それを自分の言葉に落とし込み、文章として書き、他人に伝える。 このプロセスが、自分は本当に好きだ。ここには「終わり」がないと感じている。
でっかいプロジェクト――たとえばLaplaceのようなもの――を追いかけるモチベーションは、将来どこかで変化したり薄れたりするかもしれない。 でも、「宇宙に詳しくなりたい」という欲求、そのために世界を解剖していく行為は、多分一生続くだろうと思う。
最近は、芸術やアートの領域に心を揺さぶられている。 これまで自分は「効率」「機能」といった平面の世界で生きてきた。でも、表現や芸術という、別の軸の深さに触れ始めている。
村上隆のような現代アーティスト、あるいは高度な表現を突き詰めたクリエイターたちの話を聞くと、「こんな世界の見方があるのか」と驚かされる。 ワンピースをもう一度読み直したら、きっと以前とは違うものが見えるだろうと思うし、絵画を見たときに、そこから自分が何を感じるかを観察することも、新しい「自分の次元」を見つける行為に近い。
こうした経験は、すべて「宇宙に対して詳しくなっている」という実感に繋がっている。 Laplace をやっているのも、人を分析しているのも、結局は「宇宙をよりよく理解したい」という方向に向かっているからだと思う。
宇宙は広すぎて、自分が生きているうちに解剖し尽くすことはできない。 だからこそ、この探究の熱は、多分消えない。少なくとも、自分はそう信じている。
もし自分が死んでしまったら、その探究を続けることはできない。 だから、自分が生きる理由の一つは、「宇宙に詳しくなり続けたいから」とも言える。
いま、一本の線でつながった感覚
ここまで話してきたことをまとめると、自分の現在地はこうだ。
-
自分には大切な人たちがいる
- その人たちに対して、時間やエネルギーを注ぎたい
- そのために、自分のリソース配分を意識的に決める必要がある
-
自分の人生に「意味」はなくても
- 「心の熱(愛と夢)」があるから生きていられる
- 「宇宙に詳しくなる」という終わりなき探究は、自分の生きる理由になり得る
-
人を大切にすることと、合理的であることは両立できる
- 本当に大切にしたい人を守るために、線を引く
- チームに入れた人に対する責任も引き受けたうえで、必要であれば離れてもらう
こんな話を、この時期、この時間にするべきなのかは分からない。 でも今、自分の中で、人生が一本の線でつながった感覚がある。それが、すごく嬉しい。